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博物館資料を「地球の宝」とする存在

 2023年の国立科学博物館のクラウドファンディングのタイトル「地球の宝を守れ」にあるように、博物館資料は「宝」と呼ばれます。しかし、鳥の剥製を例にするならば、剥製は生物と異なり動いたり、鳴いたり、子孫を残すことはありません。博物館資料の何が「宝」として評価される点になるのでしょうか?

ムギマキ剥製 北大植物園・博物館所蔵HUNHM39875

 剥製は柔組織が取り除かれた皮だけです。しかし、この処理によって50年、100年と残り続けます。そして、博物館資料にはラベルがつけられ、その生物がいつ、どこにいたのかという採集日、採集地などの情報が記載されて残され続けます。標本にしかないもの、それは人の必要に応じた形で保存するために、人が生物に関与したという歴史が付属することです。人のために集め、必要な情報をつけて、保存・活用され続ける価値があるものとして評価されるようになっているからこそ「宝」たりえるのです。

 ところが、人は完全な存在ではないので間違いを犯します。写真のムギマキの標本には「13年10月、札幌産」というラベルがついています。北大植物園・博物館では、現在このラベルの記載を「明治13(1880)年」と解釈していますが、別の資料では「昭和」と解釈していることもあります。博物館が継続する中で生じた混乱です。

ムギマキ剥製に付属するラベル「十三年」は明治?大正?昭和?平成?

 しかし、博物館資料には人が残したという背景があるので、この問題を解決したり、新しい情報を付加できる場合があります。ムギマキのラベルの裏面には「72」の番号があります。この数字だけでは、何の意味も読み取れませんが、博物館に残されている明治時代の古い標本カードの「72」を見ると、「コツバメ(ムギマキの旧称)、13-10、吉川」の記載があり、この標本は明治13年に、当時の博物館の剥製師吉川昌則が採集したものであるということがわかります。これは人が関与=保存管理してきた博物館資料であり、文字情報が付属して残っているからこそ引き出せることでしょう。このように標本の価値や信頼性を維持するとともに、標本に付属しない採集者情報などを見つけ出すなど、より価値の高い「宝」としてゆくことが学芸員の基本的な責務です。しかし、私たち学芸員はさらに突き詰めて大きな価値を引き出そうと心がけています。

明治時代に標本管理のために運用されていたカード 「72」 展示用の剥製であること、13年10月に石狩札幌採集という情報から、HUNHM39875を管理するためのカードであることが確定する

 生物分布の境界線としての津軽海峡に「ブラキストン線」として名前を残すトーマス・ブラキストンは、日本の鳥類目録『Birds of Japan』を執筆するにあたって、現在の東京国立博物館、国立科学博物館と、開拓使関連の博物館である札幌仮博物場(北大植物園・博物館の前身)、函館仮博物場(市立函館博物館の前身)、東京仮博物場、札幌農学校の標本室で標本調査をしていました。ブラキストンは目録の1880年版までは、ムギマキについては『Fauna Japonica』に引用されている図(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)でしか確認できていないとしていましたが、1882年版では前年に図と全く同じ標本(札幌産)を札幌仮博物場で見つけたと記しています。ここまでに見てきたムギマキが1880(明治13)年の札幌採集標本であることが裏付けられたことによって、ブラキストンが利用したのはこの標本であると断定できます。つまり、この標本は明治13年段階で日本の博物館に所蔵されていた唯一のムギマキ標本であること、『Birds of Japan』で言及された標本であり、ムギマキが北海道に分布することをブラキストンが報告した根拠であるという価値を導き出すこともできるのです。

Blakiston & Pryer『Birds of Japan』1882年版のムギマキの記載

 あまり意識されていないかもしれませんが、博物館に展示されている標本や資料にはそれらを「地球の宝」とする標本ラベルが付属しています。それは社会のために「宝」を生み出し、守っている博物館と学芸員の活動の証でもあります。我々学芸員が皆さんの「宝」に対して適切に業務を行っているか、博物館資料のラベルを通して厳しいチェックをするとともに、支援を続けていただきたいと思います。

(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園・博物館 加藤 克)